6年越しでKAT-TUNに向き合ってきた ~独立した赤西仁を目の前にして~
今から二か月前、9/23、「JIN AKANISHI LIVE TOUR 2016 ~Audio Fashion~」に参戦してきた。このブログを開設したきっかけとなる出来事だった。
今から綴るのは、いわゆる永遠の新規と呼ばれる、ごく出の仁亀担の姉妹が、仁の独立後初めてライブに行った時の感情の記録である。
上のブログでも書いた以下の言葉の真相について書き残しておこうと思う。
〝KAT-TUNを辞めて“KAT-TUNの赤西仁”じゃなくなった瞬間に仁から目を背け、6年前で仁の記憶の時間を止めてしまった私(ぶむ)と、形の変化していくKAT-TUNを受け入れながら元メンバーとして仁を見てきた姉(ぼたん)、隣で同じコンサート見て二人とも涙を流していたのにその涙の意味があまりに違って驚いてる。〟
まず初めに、私は先でも述べたようにごく出の仁亀担の姉妹の姉、亀梨担であった。仁の独立以降、関ジャニ∞との掛け持ち時代を経て、完璧にエイターになったのが約6年前である。しかし、エイターになってからも私なりにそれぞれのKAT-TUNを受け入れ、応援してきていた……つもりだった。6人時代のhyphenだったが、5人も4人も私なりに受け止め、乗り越えてきたつもりだったのに。。。
私がKAT-TUNに出戻ったきっかけは、ちょうど昨年のこの時期、忘れもしない田口くんのベストアーティスト2015での脱退宣言。あの日以来KAT-TUNを向き合う機会が増えた。抜けてるDVDを集め、少プレ、タメ旅といった番組を見て、抜けていた時間を必死で埋めようとした。私の知らないKAT-TUNに少しでも追いつくためには、避けては通れない道…それは避け続けていた仁の脱退だった。
(仁脱退当時、ショックは受けたものの、赤西担の妹に比べ比較的冷静に受けとめていたつもりだったが、今振り返ってみると、BANDAGEは見れていないし、Eternal聞いて泣いていたし、全く冷静ではなかった。笑)
KAT-TUNのくれた充電期間。これは私にとっても、空っぽだったKAT-TUNを充電する時間となっている。復活したKAT-TUNを笑顔で迎えるために…いますべきこととして、意を決して仁のライブに足を運んだ。
仁の作る舞台は芸術で、美しくて圧巻で。
まわりが盛り上がる中、私は、ただただ泣き続けることしかできなかった。
仁の脱退の事実、仁が脱退してまでやりたかったことーーーわかっていたと思っていたけど、全くわかっていなかったのだと思い知らされた。仁脱退後逃げ続けていたと語る妹(ぶむ)の方がもしかしたらちゃんと受け入れられていたのかもしれない、そう感じた。
現在の仁を目の当たりにして、私の知っている仁はもういないのだと初めて認識させられた。 私の見ていた仁は、アイドルの延長のソロ活動始めたばかりの彼で止まってたのだった。
アイドルをしていた頃の仁はもうどこにもいない。。。
必死に探したけど、面影すら見当たらない、アーティストとしてのJin Akanishiの姿しか目の前にはいなかった。
仁は、アイドルとしてではなく、1人のアーティストとして生きたかったんだね。
アイドルとアーティストの境界線は曖昧だ。でも、生で見て感じて、はっきり違いを痛感した。全く売っているものが違う。
わかっている。だけど、なんで彼を手放したんだろう…って悔しくなった。
悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
悔しくなったということは、私はジャニーズ側の人間であるということを意味する。私はどうあがいても亀梨担なのだと痛感した瞬間だった。和也*1にこんな思いをさせたことが憎かった。1人で逃げ出して、やりたいことをやっている仁に腹が立った。KAT-TUNに今いたら、全く違う世界を見れていただろうに… 和也のシンメは仁だけなのに…私は仁のいるKAT-TUNの未来を見て見たかった。あの才能を手放したことが惜しかった。私の信じる最強の二人組を一生見ることの出来ない未来しかないことが悔しかった。
と、同時にどちらが幸せなのかな。とも考えさせられました。こんなたった4000人しか入らない会場で予算も規模も小さい中で、(これでもソロになってからもう6年ほどたつが)地道にアーティスト活動していく人生。ただ、やりたいことはきっとやれるよね。やりたくないことはやらなくていいんだもんね。
悔しかったと同時に、応援したいと思った。こんな思いをさせてるんだから、ちゃんと成功して欲しいって。ジャニーズ事務所に後悔させるくらい大きくなって欲しいって。日本とアメリカの架け橋になって欲しいって。
本気を出した仁の作り出した世界は天才で、アーティストとしての自分のスタイルが確立されていて、心から素晴らしいライブだと確かに思った。 でも、私は彼のやりたいことがさっぱり理解出来なかった。私の見てなかった数年がぽっかり空いていた。
一応、今回はツアーレポちょこちょこ読んでいた。やっとなのか、前からなのか、仁の詳細を追っていなかった私にとって過去の話を触れてはいけないタブーにすることなく、背負っていたことは驚きであった。ごくせんの話なんかもしてたし、ちゃんと過去を背負って、受け入れた上での今を生きてた。 仁に会いに行く前に少しは勉強し、今の彼を多少なりとも理解しようとしていたつもりだったし、彼にとっての通過点なのだということは前からわかってた、、、、、、つもりだった。
でも、途中過程を全く知らなかったから、なにを考え、どんな思いで独立してからやってきたのか。そのことを知らないで行ってしまったため、カルチャーショックがとてつもなく大きかった。
きっとあまり語られてはいないけど、彼の不器用な数少ない言葉からもきちんと読み取ることができたはず。 それが全く理解できずに、知ることなく、あの場にいたのがつらかった。なにもわかってない私でいることが苦痛で仕方なかった。
仁と向き合って、妹は、仁のことを“成功例”といった。
確かに彼は成功例なのかもしれない。だけど、私はジャニーズから、KAT-TUNから、このような例を作って欲しくなかった。前例を作るということは後を追う人が出る。 今はKAT-TUNだけでとどまってるけど(辞めジュは除く)、SMAPのこともある今、今後どんどん増えてく可能性も示唆される。
私はやはりアイドルが好きだった。夢を売るアイドルが。 夢でなくても、すばるくんみたいに現実を売るでもよい、とりあえずアイドルという存在が、ジャニーズという存在が好きであり、興味の対象になり得るのだった。 仁は素晴らしい舞台だけど、アーティストとしての姿を見せてくれた、と感じた。
好きな人が卒業しても、脱退しても露出してるから応援できる♡とは、私には出来なかった。アイドルじゃなきゃダメなんだと。アイドルという職業を心から尊敬していて、アイドルという職業が大好きだから。 だから、私が今応援してる人たちは一生このままでいてほしい。無理な話ではあるのだけど。もし、アイドルをやめて、アーティスト、俳優、キャスター、タレント、もしその肩書きだけになった瞬間に求めてるものは見ることができなくなるんだ。そう、目の前で証明されてしまった。
今後も私がもともと大好きだった人だから、応援はする。でも、ちゃんと応援するためには私はまだまだ勉強不足で、次に仁に会うときまでにちゃんと穴を埋めなくてはならない。
ただ、正直アーティストとしての彼を見た今、仁のことをしっかりと勉強して、再び彼のライブに足を運ぶ日は来るのかどうか……自信を持って断言は出来ないのが本心である。
ちなみに、以上のような感想を持った姉(ぼたん)に対し、妹のぶむはこのように語っている。
同じ時期にKAT-TUNに堕ち、同じコンサートに足を運んだ、価値観の似ている姉妹がここまで別の感情を抱くなんて。いままでここまでの差が生まれたことがなかったため、衝撃だった。
2ヶ月も温めていたものの、まだ私の気持ちはまとまっていない。整理も全くできてないが、KAT-TUNのくれた充電期間という時間は、私が今のKAT-TUNに追いつくためにくれた時間だから。その時間を大切に過ごしたい。
ここまで感情をありのままに綴ってしまいました。
お見苦しい文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
まだまだKAT-TUNについて勉強不足な身で大口をたたいてしまい、ごめんなさい。
正直な感情を書き残しているため、こんなことを感じた人もいたんだな、程度に受け流してくださると幸いです。
KAT-TUNの復活魂を笑顔で迎えることのできる日を夢見て。
*1:亀梨担をしていた当時に和也と呼んでいた癖がどうにも抜けません。ご了承ください。。。